船泊の商店街(2011-08-11)
礼文島北部の中心。礼文島が「香深村」と「船泊村」とに分かれていた頃(1955年まで)は船泊村の役場が置かれていました。また、1992年までは船泊からも稚内との間に定期航路があり(=当時は稚内から礼文島へ向かう船には「香深行き」と「船泊行き」がありました)、礼文空港(現在は運用休止中)にも近いなど、かつては交通の要衝でもありました。
フェリーや定期航空便の就航はなくなりましたが、現在も多くの人々が暮らしており、小学校や中学校、スーパー(漁協のスーパーと民間スーパーの2軒)、役場支所などが設けられているほか、お祭りも香深地区とは別の形で行われています。
かつての船泊港フェリーのりば。「日本最北端の駅」として宣伝されていたこともあります(1979年刊の種村直樹著『時刻表の旅 (中公新書 550)』p.35による)。船泊港に発着するフェリーが廃止された後も、2010年まではこの建物が存在していたのですが、現在は解体され、同じ場所には礼文町の石油備蓄施設が建っています。
(撮影日:2010-08-16)